昼の光景対夜の光景②
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何かを作るということのいい点は?
趣味が生かせる
楽しみながら行える
飽きない
完成させる喜びがある
できるという実感を与える
充実感がある
確かにその通り。暇つぶしになるし楽しい。
作業療法はどうか?
喜び、楽しみ、充実感、人生の意味という「昼の光景」は、脳内の化学物質の変化と電気信号、
それが複雑に処理された結果の筋の働き、自律神経を介した循環器系の働きと内分泌系の働き、
さらには細胞レベルでの変化、エネルギーの動的平衡状態への作用という「夜の光景」へ還元される。
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「昼の光景」では、何かをしようとして上手くできず力んでしまうが、「夜の光景」では、
感覚系からのフィードバックに対して合目的的に作用するengramが脳にないために、
複数筋の収縮と弛緩が同時に行えず、運動野からの直接命令で対応するため筋が弛緩できていない。
それを非協調性という。
失われた協調運動をゼロから再構成するには、高度な集中と何百万回もの繰り返しが必要と言われている。
微細な筋収縮をコントロールしようとすると脳はすぐに疲労する。
「夜の光景」では、神経伝達物質の代謝速度の低下、シナプスでの伝達効率の低下であるが、
「昼の光景」では集中力が切れて飽きて眠くなってあくびが出ている。
脳は働かなくなり、engramは形成されない。
だから、楽しく飽きずにできる作業が有効なのである。
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多くのOTはやる気、motivationを重要視する。
訓練意欲? 障害の受容? 生活への充実感?
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「夜の光景」では、脳の覚醒状態が亢進し、筋へのインバルスが増加し、筋の収縮力も増加しているが、
「昼の光景」では人が変わったように明るくはつらつといろいろなことに積極的になっている。
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できるという実感は回復への希望につながる。
「昼の光景」では、失われた機能を感じ「何もできなくなってしまった」「どうやって生きていけばいいのだろう」
「どうしたら…」という際限ない自問自答を繰り返し、生きる手段を失い、絶望感を加速させる。
「夜の光景」では、皮質野からの際限ないインパルスが脳を疲労させ、シナプスがover useを起こし、
脳全体の情報処理がうまくいかず低活動となる。自律神経にも影響を及ぼし代謝が滞り、身体活動も低調になる。
それを「うつ」という。
脳も身体も働かなければ回復は滞る。
できるという実感はそのスパイラルから抜け出すきっかけになる。
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笑顔だけ、楽しみだけ、充実感だけをよりどころにしているOTはいないか?
運動器の反応だけ、動作の自立度だけをよりどころにしているOTはいないか?
(PTも然り)
「昼の光景」と「夜の光景」一つの事実の裏と表だ。常に存在するが、同時に見ることはできない。
一枚の紙の表裏どちらかだけ分離することはできない。分離した時点で、表の裏ができ、裏の表ができる。
横に並べて比べることもできない。並べた時点で2枚の紙になる。
人間を相手にする以上、「昼の光景」は重要である。
しかし、医学であろうとするなら「夜の光景」を学ばなければならない。