幸せと社会参加ー「リハビリテーション理念を考える会」投稿会

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山のあなた

カール・ブッセ(上田敏訳)

山のあなたの 空遠く
「幸」住むと 人のいふ
噫われひとと 尋めゆきて
涙さしぐみ かへりきぬ
山のあなたに なほ遠く
「幸」住むと 人のいふ


好きな詩。中学時代習ってから、何故かずっと頭に残っている。

言葉の流れが美しい。
訳した上田さんの才能なんだろうな。

原文はどうなんだろう?
調べてみたら、こんなやつらしい。


Über den Bergen

Karl Busse

Über den Bergen weit zu wandern
Sagen die Leute, wohnt das Glück.
Ach, und ich ging im Schwarme der andern,
kam mit verweinten Augen zurück.
Über den Bergen weti weti drüben,
Sagen die Leute, wohnt das Glück.


読めん(^^;
第二外国語で独語とってたけど、使わないと忘れるものだね。

それでも韻を踏んでいるくらいはわかる。
きっと原語でも綺麗な感じの詩なのでしょう。
 
 
ただ、この「幸せ」ってやつと、リハビリテーションってのがどうしても繋がらない。

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「りんご」と「滑り台」くらい無関係な気がする。
無理やり関係づけようとしたら、
「子どもが好きかもしれない」
という、かなり遠巻きに見た時の共通点しか思いつかない。

関係あるかもしれないし、関係ないかもしれない。
 
 
そもそも幸せってなんだろう?

幸せてなんだーっけ、なんだーっけ?
ポン酢醤油のことだっけ?

なんだかよくわからないけど、イコール社会参加とはならないだろうな。

リハビリテーションは泥臭い。
社会へのintegrate、最大限の能力を発揮、云々。

それは、このクソみたいな社会で生きていくための武器を、如何に身につけていくかが課題になっているようだ。

他人の人生は代われない(当たり前)。
支援とはなにか?
魚を与えれば一日の飢えを癒すことができる。
魚のとり方を教えればずっと飢えずにすむ。
 
自分の思い通りの人生を送れたら、そんな幸福なことはない。
カテゴリー上、障害者だろうが健常者だろうが、思い通りに生きていられる人がどれだけいるのか?

足りない足りないと思うから欲しくなる。
欲しくなるから手に入れようと足掻く。
沢山あるから幸せと感じる。
「あなたは明日死にます」
たくさん手に入れることに明け暮れた日々はいかがでしたか?


 
医学的リハビリテーションが僕のメインフィールドだから、そう感じてしまうんですかね。

多分、社会福祉が究極的に実現された社会は、みんなが幸せな社会なんだろうな。
当然、リハビリテーションなんて過去の遺物になっていることでしょう。

そんなこんなで、幸せと社会参加とリハビリテーションは、りんごと滑り台みたいなもんだと思うわけです。

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