訓練は「できるはず」だからするもの
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老健に努めていると、治療技術を展開していくよりも、現状の機能でいかに生活動作を自立させていくかが命題となります。
「訓練、素人でもできるでしょ?」
そう思うんなら、老健に来る前に自立させてあげてください。
3か月間、1日20分の時間で生活動作を自立させていく。
利用目的は「介護困難」だから、診断名はあてにならない。
うつ病の診断なのに腱反射が亢進していたり、cogwheel rigidityが出てきたり。
精神面・心理面も含めての様々な症候が相手です。
できないことやらせても、できるはずがない。
「できるはず」だから訓練するんです。
だから、「できるはず」と言い切れるように、動作困難の原因を探して治療します。
でも、発症から時間がたっているからなかなか良くならない。
「なんでこんな状態に…」
ともやもや感満載の日々。
どうするか?
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症候がなくならなくても、ADLが自立するすべを必死で考えるんです。利用者も一緒に。
この動作パターンを使えば「できるはず」となれば、訓練が適応になります。
PT・OTは介助法を使ってできるようにしていきます。
真剣ですよ、みなさん。生活かかってますから。
野球を見ている観客みたいに他人事じゃない。監督が中畑だろうが、落合だろうがそんなのどうだっていい。
楽しませることで人気をとるセラピストもいるけど、そんな勘違い野郎はほっときます。
「できないから訓練します」
ではなく、
「できるはずだから訓練します」
と言い換えてみてください。
治療も本来は「治るはずだから治療する」ものでなければいけないと思っています。
「一生やれば治るかもしれない」なんてのは、死ぬまで治らないと同じ意味ですからね。
言葉を変えると思考と行動が変わりますよ。
ちょっと過熱してしまいました。「障害学」の続きはまた次回に。