「プライドをとるか、職域をとるか」という問い

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PTだOTだと変なプライドにこだわってる場合じゃないなんていう意見があるみたいですね。
それにこだわっていると働く場所が減ってしまうとか。

「プライドをとるか、職域をとるか」という二項対立にしてしまえば、どちらかが正解のような気がしてきます。
よくあるビジネストークの方法です。

理学療法士と作業療法士

僕は今理学療法士として働いています。作業療法士の免許も持っているけど、作業療法はしません。
「なんで?」
と聞かれると、時間のないときは、
「チームアプローチを壊すから」
と答えます。

ホントはそれだけじゃないですよ。

理学療法士のかかわり

今、老健で働いていますが、最近は外科OPE後のリカバリー目的で入所される方が増えてきました。
疾患別リハビリテーションの流れに乗れない人たちです。

体力的に回復し、ご自宅に戻れても再発の不安におびえて鬱状態になり、睡眠障害、摂食障害をもたらし、生活できなくなり再入所。

再び自宅に帰れるようになるために体力をつけましょうって。

理学療法士の僕は、Physicalなところからアプローチします。
全身的な耐久性を改善させようと、脈拍や呼吸を確認しながら自転車エルゴメーターで負荷量を調整していったり。

でもそれだけじゃどうにもなりません。

作業療法士の力が必要です。

作業療法士の力

常に死の恐怖が頭をよぎる。何事もなく夜になった。今日は無事に過ごせた。でも明日はどうなんだろう。自分にとっての平穏な一日はこれが最後かも。明日はもしかしたら慌てて病院に行ったあの時の痛みがまた現れるかもしれない。
もしかしたら、寝ている最中にも治りきらない体の一部分が悪さをし始めるかも。
一人にしないで! 誰か助けて!

当然、眠れるはずがありません。

常に与えられる精神的ストレスが食思不振を招き、いわゆる「体力」を低下させ生活が困難になる。

作業モデル的にとらえると…

それは、その人が「ひと」としてそこにいられるようなoccupationを失った状態であるともいえます。

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生きている意味を見出せるような、というよりも、生きていることそのものであるoccupationを取り戻さなきゃいけません。
それをactivityとして利用できれば、それを介して、まずはセラピストと、そして他の人と、最後は地域に住む人とのつながりを作っていく。
そこでの人間同士のかかわりは、死の恐怖に立ち向かう力を与えてくれる。
それができるのは作業療法士だけです。

作業療法士は同時にこんな見方もします。

医学モデル的にとらえると…


常に与えられる精神的ストレスは、交感神経を過剰に働かせ、ノルアドレナリンを過剰に分泌させる。
ノルアドレナリンは消化管の働きを抑制し食思不振を起こす。
拮抗するセロトニンの分泌が間に合わず、トリプトファンが欠乏し、低栄養状態がそれを助長する。

過剰な精神的ストレスを一時的にでも軽減するために、集中して取り組めるactivityを選択して導入する。安心感の元、精神的ストレスの緩和を狙いactivityを介して受容的に接し不安の軽減に努める。セロトニン神経の活性化を狙うために、自転車エルゴメーターやウォーキングのようなレシプロカルな運動を取り入れ、メラトニンの分泌を促すために、場所を日光の当たる屋外に移行させていく。

精神的ストレスの軽減によってノルアドレナリンの過剰分泌が抑制され、セロトニン神経が活性化し、メラトニンの分泌も正常化すると、睡眠リズムの正常化と食思の回復が得られる。
(注:セロトニン仮説といわれるものです。あくまで仮説です。)

これができるのは作業療法士だけです。
さらに言えば、医学モデルも作業モデルも一つの事実をどう見ているかの違いです。
同時に「ある」のであって、どっちが正しいとか、どっちが有効とか、対立する形になるものではありません。

「プライドをとるか、職域をとるか」という問い

作業療法士にしかできないから作業療法なんです。
作業療法士としての専門性があるからこそ、職域がある。
理学療法士も同様。

プライドをとるか、職域をとるかという二項対立は詭弁のように思えてなりません。

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