リハビリテーションの先にあなたは何を思う?
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「なんで生きているんだろうね」
と聞かれたことありますか?
自分の仕事
僕は医学的リハビリテーションの一翼を担うことが自分の仕事と思っています。
「リハビリテーション」=コミュニティへの復帰
とても大きなテーマで、おそらく、対象となった人の人生の中でも大きな意味を持ってくる。
コミュニティへの復帰がなされるまでの短い付き合いの中で、その人にとってのコミュニティはどのような意味を持つのかと、ともに考えどこに戻るべきか話を進める。
そして最もいい状態で生活できるように、運動障害を治療し、必要な生活動作を訓練し実用的なものとし、社会資源の調整にも口はさんだりする。
すごく大変。でもやりがいのあることです。
そのようなリハビリテーションがスムーズに成し遂げられる社会は、とても幸せな社会なんだろうなと思う。
生きる意味?
けれども
「なんで生きてるんだろうね」
と聞かれたときどうしますか?
コミュニティへの復帰なんてとても空虚に感じませんか?
その問いは、
「なぜ、コミュニティへ復帰しなきゃいけないの」
ということであるし、究極のところ、
「なぜ、あなたは私に関わるの」
という問いであったりもする。
裸の王様
そうですね。
でも空虚ですね。
それを聞かれたわけじゃないでしょ。
理学療法士として言います。
そんな時、理学療法は役に立ちません。
一瞬にして裸にされるか、理学療法士という服で自分を守るか。
まさに裸の王様。
作業療法士として言います。作業療法も役に立ちません。
でも、Occupational Therapyの哲学はちっとばかり役に立ちます。
老健で働くこと
介護老人保健施設は介護困難(正確には自立困難だけど)を主訴として入所するところだから、医学的リハビリテーションは主役ではありません。
DVにあって保護された人、家族に裏切られて行き場を無くした人、癌の末期で死を覚悟した人…。
とある人は、散々苦労して、ひどい目にあって、ようやく落ち着いたと思ったら死期が迫っていて、「いったい何のために生きているんだろうね」とこぼします。
世話になるだけというのが辛い、と。
とある人との関わりから
けど、いろいろな人がいて、その人がいて、ジグソーパズルみたいに一枚の絵が成り立っている。
1ピース欠けても成り立ちません。
だからそこにいるべきなんです。
生きるのは仕事みたいなもんです。
命がある以上生きるしかない。
そんな話をしたら、一瞬その人の目が明るくなったような気がしました。
多分、明日になればまた悩むのでしょうけど。
リハビリテーションの先に
リハビリテーションの先には、生きることの意味という命題があります。
それ抜きにリハビリテーションを語っても空虚な感じがします。
持つべきものは友
なんてことを、いつの間にか「執行部会議」と名付けられたろくでもない雑談チャットで話していたら、
それって療法士の仕事?
で、どうすればいいの?
と友人の言葉。
いつもなら、思考の波に溺れてわけわからなくなっているところですが、救われました。
持つべきものは友です。
ちなみにこの「執行部会議」、関係各署のお叱りを受けそうなので内容は非公開ですが、決して反社会的であったり非人道的なやり取りがあるわけではなく、素で酔っ払えるおっさんたちがくだを巻いてアホな会話を繰り広げているだけです。
くだをまいているうちに、少しずつ頭の中が整理されてきました。
将来の夢
昔、引退したらアトリエを開きたいと思っていました。
いろいろな創作活動ができて、いろいろな人が集まれるような場所。
そこには作業療法士のスキルが役に立つはず。
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フリマスペースみたいなのも作って、できたものを売っていくばくかの収入を得る。
当然、収入は作った人のものです。
生きることとoccupation
ところで、このお金を稼ぐという行為、ものすごいモチベーションにつながります。
自分が生み出したものに価値があるんだという感覚とお金があれば誰かのために何かができるという喜びです。
孫にチョコレート買ってやるような小さなことかもしれませんけど。
生きるということは何かを成し遂げるということ。
イコールoccupationかもしれませんね。
生きることとphysical condition
ついでに隣でリラクセーション? コンディショニング?
サロンみたいなのをやって健康相談にも応じたり。
そこには理学療法士のスキルが役に立つはず。
病気?みたいなことがあれば、早いうちに受診を勧めたり、肩こり(病気ではない)程度であればその場でいい状態にして、創作活動にもっと没頭してもらったり。
そんな場所を起点にして、それぞれがそれぞれの人生を生きていけるようになれたら楽しいだろうな。
プロトタイプ?
近所に、眼科のクリニックがあるんですが、駐車場を挟んでサプリメントショップと眼鏡屋があります。
これこれ、これです。やるとしたらこの形です。
生活は年金+αで最低限は賄っておいて、アトリエやサロンは赤にならなきゃいい程度で。
でも、ちょっと待てよ。
アメリカのようにPTにダイレクトアクセス可能になったら、年金まで待たなくてもできるんじゃないか?
近所の眼科クリニックと同じような形ができますよね。ね!
ダイレクトアクセスできれば
理学療法クリニックを中心に、リラクセーションサロンとアトリエとフリマショップを併設。
高齢者だろうが、障害者だろうが、健常者だろうが、手がなかろうが、足がなかろうが、目が見えなかろうが、若かろうが、死期が迫っていようが、病気だろうが、健康だろうが、ろくでもない人間同士仲良くしようぜ的な空間。
個人的には高齢者同士のお見合いパーティなんてのをやりたい。
そして、将来自分も参加したい(笑)
きっと、笑いがあればすべての困難は小さく見えてくると思うのです。
ろくでもない雑談チャットでは、某氏が「かかりつけ療法士」構想を話してくれました。
まさにそれです。
きっと某氏が詳しく語ってくれることでしょう。
今の仕事を振り返って
よくよく考えたら、今の老健での仕事って、それによく似てる。
実際、医学的リハビリテーションの対象者ばかりではない。
でも定期的に「個別訓練」をして、異常があれば医師に報告し、それ以外の時間に顔を見れば挨拶してアホな話したり、「これあげる」なんて広告紙で作った箱なんかもらったり、塗り絵カレンダーもらったり。
ほんとはいらんけど(笑)
でも、待てよ。
起業すればダイレクトアクセスを待たなくてもできるか?
いまやるべきこと
そのためには副収入源を見つけて生活安定させないといけないな。
今後、ダイレクトアクセス可能になっても今の自分の能力じゃ無理っぽいな。
リスク管理が不十分だし、危険な状態を鑑別できるかわからん。
そんなこと考えてたら、頭の中に散らばってたことが一枚の絵になりました。
まとめ
「リハビリテーションの先にあるもの」
それは「生きるとは」という命題です。生きるということは「何かを成し遂げること」。
それはその人にとってのoccupationだと思います。
それがある限り、そこには必ず笑いがある。
笑いはすべてを超えます。
そんな空間を作りたい。(自分もそんな場所で死んでいきたい)
そのために今やるべきことは、
①副収入源の確保。これは本業から離れたものであるほどいい。
②いつでもダイレクトアクセスに対応できるような能力。まずは鑑別診断を知らなければいけない。
なんだか論理が飛躍しまくっているように思うでしょうが、自分のなかではすっきりしてます。
はじめまして。
とても興味深いのに、読みやすい文章に感動して、1つ目の投稿から読ませていただいています。
今回の投稿、特に感動いたしました。いつかお話する機会を夢みて、また読ませていただきます。
お忙しいとは思いますが、投稿を楽しみにしております。